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40、50代のSNS(Twitter、Facebook、ブログ)での注意点

岩手県議会の議員が、病院での苦情をブログに書いて炎上し、その結果自らの命を絶ったとのニュースがあった。ブログが炎上してその結果、窮地に立たされる事例がなんと多い事か。

ブログやTwitter、Facebookは個人で書いたりする場合は、プライベートの延長である事が多い。ただ、Webというものは完全なプライベートでは無いと言うことをどれだけ認識しているのだろうか?と思う事がある。
TwitterやFacebookはフォロワーだけが見られるものでは無いのだが、その辺の設定を知らずに、プライベートな不満や、意見などを書いてしまっているんだろう。

40、50代の人々ってそういったネットでのコミュニケーションツールを使う事が必要であると感じてる人が多い。ともかく物珍しいがってTwitterやFacebookなどをやるのは良いけど、きっとリアルなノリをそのまま持ち出している部分があるのだろう。

実際に40、50ともなるとそれなりの地位にいる人が多い。そうなってくるとたとえ無茶な話でも、周りの人は注意する事なく、イエスマンと化していく。つまり話している話が、果たして常識的な事なのか、正しい事なのかが、客観的に判断できる材料が無くなってしまう。

周りが誰も否定しなければ、本人にとっては正当な議論だ。持論をやたらと聞かせたがる人はこうゆうタイプが多い。

誰も否定しないから、正しい事だと認識し、どんどん自分の持論を押し付ける。それはその理論に賛同しているのではなく、ただ振りかざされた権力に逆らえず、否定ができないだけだ。

正しいという持論は、せっかくTwitterなどを使っているのだから、世間に話したくなる。どうだ?俺は正しいだろう?と大きな声で言いたくなる。しかし、ネットの世界は不特定多数だ。実際に関わる事のない人達の世界。または、毎回その持論を聞かされて、嫌気がさした人が、名前や関係性を明かさずに匿名で書き込める世界

それなりの地位の人が、常識外れな意見など得意げに展開する事は、ネットの世界では格好の餌食だ。そこには権力なんてものは通用しない。不快なものは叩く、それだけだ。

そこで始めて自分の意見が一般的でない事に気づく。ある意味価値観の崩壊でもある。そして、世間の風潮に合わせて、身の回りの人間も手の平を返す。気がつけば四面楚歌。

こうゆうことに陥らない為にも、普段から人の話を返す聞く姿勢と言うものを、いつまでも持ち合わせておかないといけないのだろうね。また、記事をアップする際に、果たして問題ないだろうか?と言うことを何度か確認してから、ブログなどに掲載した方がいい。

まあ、その辺の事は、俺も人の事は言えないなあ。年々思考は凝り固まっていく。一度植え付けられた、固定観念はなかなか外せない。
まず、自分の常識を疑えって事なんだろうね。

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