その2「当事者だって盛っちゃうんだから、歴史はフィクションだよ」
大学の時は歴史学を専攻していたのだが、その時に起こったのが、神の手事件。
考古学で掘れば必ず新発見をする人がいて、神の手と呼ばれていたのだが、実は自分で埋めていたものを発見するという偽造をしてたという(笑)
その事件から急に歴史熱は冷めてしまって、悟ったのが、歴史はフィクションだということ。
だいたい事件が起こっても、当事者ですら見解が違うわけだし、残された資料だって、当時の為政者が都合のいいものだけを残している可能性だってある。
さらに厄介なのは、そう言った資料に対する学者の見解。
学閥によって違ったり、権力争いのタネになったり。
それに今の政権の都合、マスコミの都合、企業の都合などが合わさって、何が正しいのかなんてわからない全く分からない。
事件が起こったという事実が語られるなら、まだしも、事件が起こったことすらなかったことになるんだよね、時代によって。
これほど学問として不確かなものなのに、歴史的見解とかを政治とかに持ち出すのは非常に危険だよねえ。
今だって、となりの国と見解が違って揉めてるしね。
だからといって学問的に価値がないと言ってるわけではないよ。
自国、他国の歴史的な背景を知るのはとても大事。
歴史的なバックボーンによって、その国が成立したということもあるわけだし。
ただ、それはあくまで参考にするものであって、信じ込み信奉するものではないかな?と思っている。
歴史は想像の学問であり、こうであったらいいなという希望の学問でもある。
それを思考することは、よりよく自国他国の今を知る事になるしね。
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