お笑いを目指した青春小説
直木賞受賞の又吉直樹作品「火花」を読み終わった。
正直、普通に面白かったよ。
最後の方はどうなるのかな?と気になって一気に読んでしまった。
なんというか、純文学というよりは私小説な感じがしたんだよなー。
芸人が題材になっているからかもしれない。
主人公は売れないコンビ芸人の片割れで、花火大会の営業先で出会った他の事務所の先輩芸人とのやりとりが主題。
なんだか分からないが、俺の頭の中では、先輩芸人は俳優の桐谷健太で再現された(笑)
その先輩芸人というのが、芸人になるべくして生まれたような人間で、日常全ての生き様が芸人。
破滅的な天才肌の先輩芸人を、主人公は憧れるのだが、主人公自体は私生活全てを芸人として捧げる覚悟はない。
自分は先輩のようには生きられないのを自覚していながら、やはり憧れ、羨望する。
二人ともなかなか芽が出ないので、ウダウダと安い酒を飲みながら、お笑い論を語り合う訳だが、その舞台が吉祥寺。
しかも、ハモニカ横丁の美舟が出てきたりして、若い頃のセツモードセミナーにいた頃を思い出した。
俺もよく当時の仲間と飲んで、アート論とかを語ったもんだよ(笑)
そう言った青臭くて、みっともない青春時代を過ごしたことがある人には、共感できる部分は多いかもねえ。しかも、俺の場合は舞台となった土地がほぼシンクロしてたからなあ。
吉祥寺、上石神井、下北沢……ウダウダしてた時代にウロウロしてた土地が出てくるから、読みながら昔を思い出してしまった。
成功者が描く敗者の美学と憧れ
結論から言ってしまえば、主人公達はお笑い芸人として成功しないで終わってしまうわけだが、それをお笑い芸人としては、ある程度成功している又吉直樹が書くというのが面白い。
たぶん、主人公は売れなかった又吉直樹なのかもしれない。
主人公は良識をわきまえ、考えて練習してお笑いを作るタイプで、普段はどちらかと言うと、大人しくて前に出ないタイプ。
合コンに参加しても、その雰囲気に馴染めず、早くその場から去りたいと考えてしまう。
逆に先輩は、生き様自体が芸人で、舞台外でも常に面白いことをやることを優先する。
ゆえに私生活は破綻していて、借金をしてまで酒を飲み、後輩におごって見栄を張る。まさに昭和の芸人。
ただ、そうゆうタイプは味方もいれば、敵もいる訳で、段々と常識に追い詰められていってしまう。それでも、破滅的にお笑いを追求してしまう性。
主人公はそこそこテレビに出られるようになるのだが、先輩はなかなか芽が出ない。
実験的な笑いとかを、平気で舞台でやってしまったりするからなんだよね。
芸人として、やっぱりそうゆう生き方というのは憧れるんだろうなあ。
自分では決してはみ出せない、常識という枠。
ただ、芸事や芸術をやっている人間は一度でいいからそうゆう生き方をしてみたい。でも、普通はできないんだよねえ。
常識や世間、生活というしがらみがいるからね。誰もがシド・ヴィシャスにはなれない。
ある意味、この作品は、そういった憧れの体現でもある気がしないでもない。
又吉直樹自体も、そう言った破滅的な芸人ではないもんねえ。
先輩芸人はいつ死ぬのかいつ死ぬのかと気になりつつ……
なんかそんな破滅的な生活をしているので、先輩芸人はいつ死ぬのかいつ死ぬのかとハラハラしながら読み進めたら、意外にも肩透かしな感じで終わってしまうのが、又吉直樹の作家としての芸風なのかもしれない。
普通に死んでいたら、普通の小説になっていたんだろうなあ。
あの終わり方が、バカバカしくてみっともない感じを出していて、「あ、面白かったな」って思わせてくれたんだよねー。
とにもかくにも、次回作を読んでみたい。
純文学かどうかは、それを読んでみないとあまりにも、私的要素が多すぎて、分からないかなー?